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阪神・淡路大震災から15年

2010.01.18

こんばんは。すずき英敬です。


昨日は、阪神・淡路大震災から15年でした。
6434名のお亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
とともに、ご遺族の皆様の心中をお察し申し上げます。
また、15年たっても、まだまだ復興がなされていない地域もありますし、
心理的にダメージを受けられて回復されておられない方も多数いらっしゃいます。
それらの皆様の一日も早い回復・復興を心の底からお祈り申し上げます。


15年前、私は大学1年生で東京に来ていました。
テニスの朝練に行くべく、7時に目覚ましをセットしていました。
しかし、朝6時半ごろに、同じテニスサークルの仲間から電話があり、
当時は携帯とかありませんから、家電話でした。
「なんや、朝からうるさいなあ」
と思って、受話器をとったところ、
「おい、えいけい、大変やぞ!テレビつけろ!
 えいけいの実家あたりが地震で大変になってるぞ!」

眠たい目をこすりながらテレビをつけたら、
見たこともない風景、上空から見た炎の上がっている兵庫の町でした。
「ありがとう!すぐに親に連絡とってみるわ。
 もしなんかあったら、練習行かれへんから、ごめんな」
と言って電話を切り、親に電話しましたが、電話は通じない。


結果、2日間、親とは連絡がとれず、
もしかしたら万が一のこともあると思っていましたが、
2日後に親から「生きとるでー。大変やけど、心配いらんから。」
と電話があり、ホッとしたのを覚えています。


しかし、お世話になったあの人はどうなんだろう、あの友達はどうなんだろう、
とても気になり、四方八方連絡しましたが、うまくとれませんでした。


ニュースをずっと見ていて、どんどん死者が増える、
そして、さらには私が幼少を過ごした西宮市は、
阪神高速が倒れ、真ん中から折れてバスが宙づりになっているところがあり、
あそこは私が住んでいたところから10分くらいのところでした。
また、毎日通学の乗り換えで使っていた今津駅も倒壊、
浪人時代を過ごした三宮も、予備校のビルが倒れたりして、
本当につらい思いでいっぱいでした。


数日たって、いろんな方の安否も確認できてきて、
私は高校の生徒会長をやっていたこともあり、
母校に連絡をしてみました。
すると、母校の体育館は死体置き場、一つのグランドは自衛隊の給水車などの置き場、
となっていることを聞き、同級生に連絡をとり、
なんらかの手伝いができないかと動きました。


つらい思いをたくさんの人がした1日。
二度と繰り返してはいけないが、
天災であり、いつ来るかわからない。
だから、一日も早く備えを完璧に近づけていくことが必要です。
それが政治の仕事です。


しかし、何をやっているのだか、
今回政府が国会審議にかける予定の予算では、
高校無償化を実現する代わりに、
小中学校の耐震化の予算を削り、
また耐震化が遅れる結果となります。


高校が実質無料になることも大切ですが、
命あってこそ、高校に行くまでに
地震で命を落としてしまっては何にもならないんです。


阪神・淡路大震災から15年という節目の年に、
まずは二度と悲しい思いをする人を出さないという決意で、
それに関連した予算を組みこむことが、
ご遺族などに報いていく一つの政治の仕事ではないでしょうか。
そういうことを決断できないリーダーや政治家は不要です。


野党自民党についても同様です。
政治への信頼を回復することはとても大事だし、
昨年8月30日の衆院選挙で有権者のみなさんは、
不透明な、私腹を肥やすような、
そんな昔の自民党がやっていたような
古い政治から決別したいというのが大きな大きな願いであったはずですし、
民主党なら情報公開、透明な政治が実現するのではないかと思っていただいたんでしょうから、
小沢問題についてガンガン追及することも大事です。
しかし、予算委員会では、
耐震化のようなこういう急がなければならない予算の使い方など、
国民生活に直結する部分についても大いに追及していただかなければ困ります。

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